韓国視察その3

(清渓川の始点)
ソウル市中心部を流れる清渓川(チョンゲチョン)のの復元事業は、その合意形成の過程と、2年ちょっとでやり遂げたという驚異的な工期とで、都市計画の分野では注目すべき事業です。十分には伝えられませんが、断片だけを紹介します。

(蓋をかける前に存在していたというスラム街の模型)

(文化館内に紹介されているスラム街の様子)
清渓川は、14 世紀後半にソウルが朝鮮王朝の都となって以来、600 年に渡りソウル都城の中心を流れてきました。第二次世界大戦前後には、川辺におけるスラム街化など衛生問題が深刻化し、幾度となく川を覆蓋するという計画が立てられたものの、不安定な情勢を理由に長い間放置され続けてきた。しかし、1950年代から1960 年代の韓国の経済成長・都市開発に伴って水質汚濁が更に深刻化したことを受け、川を蓋で覆ってしまうことにし、またその上に清渓川高架道路が建築され、それ以来、清渓川はソウル市民の目に触れることのない存在となっていました。

(文化館内に展示されている道路を壊している様子)
2000 年代に入ると、清渓川高架道路が築30 年を経て老朽化が目立ち、補強工事や通行が規制が繰り返されるようになり、それに併せ清渓川復元の声が高まり出しました。これを受け、高架道路を撤去し清渓川の復元を公約に掲げたイ・ミョンバク市長が2002 年の市長選挙で当選。その翌年から事業が早速具体化することとなり、2003 年7 月~2005 年9 月までの2 年2 ヶ月間をかけた大規模都市再生事業が着手されたというものです。

(後方が文化館)
今回の視察では、見事に再生され魚や植物などの自然が取り戻された様子を見て回りました。川沿いに建てられた「清渓川文化館」では、復元事業を理解するための展示やビデオを見ることができます。
この事業の半端でないところは、単に蓋や道路を取り外すだけでなく、適量の水を常に流すために、漢江の水などを取水して、始点に供給している点です。川にはきれいな水が常に30センチくらいの深さで流れ、この付近の気温も2度くらい下がったそうです。
日本でこれだけの工事をしようと思ったら、恐らく十年以上はかかるのではないでしょうか?こういった違いって何なのでしょうね。