高見周辺の史跡めぐりその2
岩渕橋の近くには、旧九州鉄道茶屋町橋梁跡があります。
九州鉄道大蔵線は、明治24年(1891年)に開通したが、1902年に戸畑線が開通。07年に九州鉄道が国有化され、翌年に戸畑線が本線に昇格すると、大蔵線は支線となり、11年9月に廃線となりました。
板櫃川の支流、槻田川に架かる赤煉瓦造りのこのアーチ橋は、九州鉄道大蔵線の橋梁として構築されたものです。
九州鉄道側では小倉~黒崎間は戸畑経由とする予定であったが、海岸部に鉄道路線を敷設することについては、陸軍が艦砲射撃による線路破壊を危惧して反対した。そのため、内陸部にある大蔵地区を通る経路に変更し、敷設した、と説明されています。
これは、大蔵バス停の近くにある「大蔵駅跡」です。明治24年に開通した九州鉄道大蔵線は、当初小倉~黒崎間に駅がなかったが、明治31年8月現在の大蔵公園の地に大蔵駅が設置され、一時は八幡の表玄関としてにぎわったそうです。
両国橋近くの板櫃川にも、大蔵線のレンガの跡が見られます。
こんなところを汽車が走っていたとは想像できませんね。