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大阪市の区長

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大阪市の区長
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実は、私も応募していましたが、書類選考での不合格通知が届きました。
 何かに挑戦したくなる、という私の悪い癖なのですが、年が明けてから大阪市が区長を公募していることを知り、3日間で書類を書き上げ、締切日に発送したものです。
 「会社はどうするんだ!」と怒られるかもしれませんが、それはそれで何か継続できる道は考えるつもりでした。
 橋本市長がやられている改革を見て、自分もたかが区長からでも、今のしくみを変えてみたいと思いました。教育、福祉、介護、交通、生活保護・・・自分が北九州なりで関わってきたことの不合理を何とか変えてみたいと思いました。大阪市が変われば日本も変わるんじゃないか、という夢に乗ってみたかったのです。
 妻だけには事前に相談し、恐らく単身で乗り込んでいくことに快く了解をしてもらいました。4年間は集中して取り掛からないと、そう簡単なものではないという怖さにも自分なりに克服しての応募でした。
 書類に自信があったかというと、これは結果論ですが、全く知らない区の課題と公約を書くのには正直無理だと思いました。自分がやってきたことを書くのが精一杯で、肝心の論文が稚拙だったのだろうと思います。
 会社のことは、「出稼ぎ」という整理を自分の中でしていました。今の会社の中で、一番稼げる人が外に出るのも、この年金基金問題や燃料高でのひとつの手かもしれないとも思ったからです。役員報酬を全てなくすことで、取りあえずのコスト削減は十分です。あとは、自分がいない間の仕組みを考えていくだけです。それはそうなってから考えるべきものだと思っていました。
 もうひとつの理由、今のしがらみから抜け出すいいチャンスだと。特にタクシー協会など全ての役職を一度辞めることで、一から考えることもできるだろうと。運輸当局と協会と事業者の、どうも建設的に動けない体質から抜け出すのもいいのかもと。タクシーでもまだまだやれることは一杯あるのに、協会で議論できない。いっそ、ゼロからやっていきたいという思いでもありました。
 いろいろと考えましたが、道は今のこの道しかないことになりました。自社において「自分がするなら」と思っていたことを、着実に行っていこうと、逆にやる気が出たようなさわやかな気分です。まだこのしがらみからも付き合いつつ、自分ができることをしていこうと思っている次第です。
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