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東田第一高炉の火入れ直後の状況

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東田第一高炉の火入れ直後の状況
「田中熊吉伝」から、東田第一高炉の点火後の状況は以下のようです。
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1901年2月5日午前11時火入れ
  (空気を炉内に送って燃やし始めること)
2月6日-少量(1.2トン)の銑鉄を生産。
2月7日-炉頂への原料巻上げ用滑車の破損、断水等のトラブル。
2月8日-高炉ガスの除塵のところが爆発。
2月9日-送風羽口が閉塞する。
 (前日までのトラブルにより、炉内が冷え込み、スラグが羽口まで上昇し閉塞したものと思えます)
2月10日-炉底の鉱滓口が閉塞されたので、予備口を開く。羽口も非常羽口を使用。
 (鉱滓口というのは今は使っていません。)
2月12~14日送風中止。破損した部分の修復。
2月15日再送風するも、炉内冷え込みのため中止。
2月16日~3月8日特に記述がありませんが、冷え込みの回復処置をしたものと思います。
3月9日炉内の状況回復。
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文章では簡単であるが、高炉が冷え込んだときの対処は壮絶なものがあります。
羽口を抜いて、かぶったスラグを金棒でたたいて落としたり、固まった鉄を酸素で少しずつ溶かしたりするのですが、大変な作業です。
冷え込み処理の経験は、高炉屋にとって自慢できるものではありませんが、少し説明します。通常は炉前の人員も最低限で操業してる関係で、いざ冷え込みとなると①3交替を2交替にする②それでも不足するときは、他の高炉からも応援をもらう、などという対策をとります。ハンマーを振る者、酸素をふかす者などがひしめき合って、炉内の回復に努めます。一度固まってきた鉄を人力で溶かしていくことになるのですから、とても大変です。今でも、長い場合には3日くらいかかることもあるでしょう。
火入れのときに、最初に銑鉄が出てくるときの感激はひとしおです。本当に「バンザイ」って叫んでしまいます。
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