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永年勤続者の退職

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永年勤続者の退職
22歳で当社に入り、45年間勤められた乗務員が2月で退職しました。今までで一番永く勤務された方であり、これからもこの記録は破られないと思います。65歳で嘱託になり、その後2年間頑張ってこられましたが、歩行が弱くなり、継続が困難になりました。私の記憶の中では、お客様からの苦情は一度もなく、勤務も時間通り欠かすことなく、模範的な乗務員でした。永くまじめに勤めた甲斐あって、他の退職者よりは多少年金も多いようであり、本人も喜んでいました。コツコツと継続されることの重要性を改めて感じた次第です。45年間お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
 彼が、昔書いた作文は、私が大事に残しています。長い文章ですが、掲載したいと思います。
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 私が職業運転手の道に入ってから今年3月で22年になります。今の会社に入社して18年、この間の年月は長かったような短かったような気がします。私は今年で40歳になります。私の家は高校と小学校の娘との3人家族です。
 隔日勤務の現在、娘たちと顔を合わせるのは一日毎です。朝出勤する時、また帰宅した時、ほとんどは娘たちの寝顔を見るだけです。しかし、朝出勤する時、この娘たちのためにも今日一日の安全をと思いながら、また帰宅した時も無事だったよと寝顔に語りかけています。
 21歳の時、大型2種を取得してタクシー乗務員としての生活が始まりました。当時は、神風タクシーといわれていた時期で、世間のひんしゅくをかっている時のタクシー乗務でした。歳は若いし2種免許を持っているという一種の何か得たいの知れない優越感を味わいながら乗務していたと思います。
 当初の2年間ぐらいは、スピード違反と事故の連続でした。当時のタクシー乗務員の仲間では、ぶっ飛ばしてハンドル操作で難を避けるのが一級のドライバーだと思っていました。
 一年間で6回、スピード違反で検挙され、最後は180日の免停を宣告されて、「さて、困ったことになった。」と思いました。が、あんな所で取締りをしやがって、と自らを反省する気は当時なかったような気がします。法令講習を受けて免停は3ヶ月に短縮されたものの、水をなくした魚同然、何をする術もありません。
 3ヶ月間の間、会社の雑用をさせてもらいながら、こんなことの繰り返しでは将来が思いやられるなと考えました。罰金と免停で生活は苦しくなる一方でした。このような繰り返しの生活が続いている時、現在の社長が来て「スピードを出すな、ゆっくり根気強く走れ、スピードが諸悪の根源だ。」と言われ、当時保有のタクシー全車にタコメーターを取り付けました。
 それからは、法定速度以上のスピードで走っていると、厳しく注意をされました。当時はまだ、タコメーターを取り付ける会社は少なく、従業員の間では、「水揚げが多ければ文句はないだろうが」と、社長の行為に対しては不平が多く、私も例外ではなくその中の一人でした。同僚の何人かはうるさい会社だと、辞めていく者も出て、私も一時は辞めようかと思ったこともしばしばでした。
 しかしながら、何となく社長に心引かれる面もあって、我慢して勤務を続けておりました。会社は当時から年間無事故者の表彰を新年の初会合の時に実施しておりました。
 私は入社以来9年目にしてやっと、一年間無事故で過ごして、その晴れがましい会場で無事故表彰を受けることができました。その時のうれしさは、私にとっては最大級の喜びでした。それは、49年1月の新年会の時であったと今でも私の脳裏に焼きついています。わたしは、それからの1年間も無事故で過ごしてこの喜びをと、安全運転を心ひそかに誓いました。
 それからは、交通違反の回数も数年前とは比較にならない程少なくなり、生活も安定してきました。この時期になって始めて「これだな」と、やっと社長が言われる「スピードを出すな、安全に注意せよ」と口うるさく言われる事がわかったような気がしました。それは、私が30歳の時の1日だったと思います。
 先日、わたしが偶々、小倉北区を走っていた時、並行して走っていた若者の暴走行為による死亡事故を目の前で見ました。わずか2、3秒の間に尊い一人の命が失われたのです。私は、その若者の運転振りに過日の私の姿を見るような気がして、背筋の寒くなるのを覚えました。
 蒼白な顔をして何をなす術もなく、ただ呆然と立ちすくむ若者。その傍らで「お父さんが死ぬ、何とかして」と絶叫する奥さんの姿。この悲惨な姿を見た時、改めて私は絶対に事故を起こしてはならないと決意を新たにしたものです。そして、私が若い頃、今の社長に会わなかったら、また人の注意を聞かず相変わらずのスピード狂だったら、その若者の姿が私であったろうと思います。私は、この事故を目のあたりに見て、今更のように安全の大切さと根気強く注意してもらった社長や周囲の人々に感謝しています。
 私は、今日まで10年間無事故でこれました。今年は更に記録の更新に挑戦しています。私は同僚の運転手と比べて、決して運転が上手いとは思いません。ただ、慎重に運転しなくてはと絶えず心で反復しながらハンドルを握っています。
 そのように慎重にと思ってハンドルを握っているものの、時には流れをさえぎるような無謀な車やバイク等に会うと、ときどき心の穏やかさを失いけん制されるときもあります。そのような時、ちょっと待てと、一呼吸入れて早く正常心に立ち直るよう心がけています。
 朝の挨拶「おはよう」の一言が、いかに人の心を和やかにするものでしょう。毎日のこと故、出勤時に気分の優れた日ばかりではありません。しかし、「おはよう」が今日の始まりだと思って、それを実行することによって、心のもやもやを消しています。
 そして、安全運転とは、ひとつひとつの基本的なことを確実に実行することによって、安全な日々が積み重ねられていくと信じます。文明の利器が一瞬の不注意により凶器に早変わりします。私たちはそのような諸刃の剣をもって生活しています。
 安全運転こそが、お客様を大切にすることであり、私たちタクシー乗務員が社会に対する責任であり、プロドライバーとしての誇りであると思います。終わりに、我が社の教習書の巻頭言を紹介します。
一、命を預る責任の重大さとお客様を大切にする心を持とう。
二、無愛想なのは、自分を愛する気がないからである。
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