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チェアウォーカーという生き方

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チェアウォーカーという生き方
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「チェアウォーカー」という名前に惹かれて、この本を買いました。裏表紙には、次のように書かれています。
~20代半ばに思いがけずチェアウォーカーとしての旅をはじめたが、険しくて前に進めないと思っていたのは最初だけ。恐れずに少しずつ歩いていくと、道は平坦ではないにしろ、いや実際、起伏に富んではいたが、とても楽しいものだった。チェアウォーカーとしての旅は、小さきもの弱きものに優しさを向けることや、今、一瞬の大切さを知ること、まわりの人々への感動の気持ちなど教えてくれた。足で大地を踏みしめなくても、どんな歩みであっても人生は、生きるに値するものだと教えてくれた。~
 著者の松上京子さんは、25歳のときにおきたオートバイ事故で車椅子生活になるが、アメリカへの留学、カヌー、水上スキーなどに前向きに取り組む考え方が素晴らしいと思いました。「バリアフリーってどういうことなのだろう?」という疑問にも答えてくれる内容です。
 著者がアメリカでバスの乗車拒否にあった際には、そのバスの乗客たちが「何言ってるの、彼女を乗せなさい」と言って、皆で席を空けて乗せてくれたという話。その後も、乗客の何人かがバス会社に抗議の電話をしたという話。バリアのない社会を築こうという市民の意識に、今の日本とは格段に差があるなあと感じました。
 数ヶ月前、北九州でバスに乗っている時、バスのパス券の取扱で乗車地の記録がなかったとかで、降車時に何人かの処理がもたつく場面が数回続いたことがありました。その時に前の方に座っていた一人の乗客が「何をしてるんだ、俺は急いでいるんだ、早くしろ」と叫んでました。私は「運転手さんもがんばっているんだからしかたないでしょ」と余程言おうかとおもいましたが、日本には何故こういったレベルの低い人がいるのだろうかと思いました。
 私も数ヶ月アメリカにいたことがありますが、みなさんが何となくおおらかに感じます。何かトラブルがあっても、ジョークを飛ばす人が必ずいて、場の雰囲気を緊張感から解き放します。日本人の国民性なのでしょうか、人を押しのけていかないと生活できないような経済性なのでしょうか?日本は、もうちょっと変わらないといけないような気がしますね。特に北九州は、暴力の街というレッテルがある現状から抜け出すためにも、「バリアのない街」にもっていけないだろうか、と願うこの頃です。
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